2006年3月アーカイブ

野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は今日21日(現地時間では20日)、サンディエゴのペトコ・パークで決勝を行い、王貞治監督が率いるチーム日本が、10—6でキューバを破り、初代世界一に♪ 最優秀選手(MVP)には松坂大輔投手が選ばれた。
日頃スポーツには疎い私も、日曜(19日)の準決勝(vs韓国)と今日の決勝(vsキューバ)は、テレビにかぶりつきで応援した。・・・この大会、いろいろ問題はあったようだけど、視聴者としては、好試合・ファインプレーの連続で、歳甲斐もなく熱くなった。王さんとイチローは、日本の至宝です!!
ちなみに、韓国戦の瞬間最大視聴率は、50.8%(ビデオリサーチ)だったそうです。

「歴史」とは何なのか? この歳になって、ふと戸惑うことがある。
豊臣秀吉は日本では「ヒーロー」だが、韓国では「侵略者」だ。原爆資料館では日本は「被害者」だが、独立記念館では「加害者」だ。立場や時代が変わると「解釈」も異なる。「歴史」はひとつではない。私も含めて、多くの現代人は、本当の戦争の恐ろしさを体験していないから、ともすると「被害者の心情」を推し量るデリカシーが麻痺しがちである。不足は、想像力で補うしかない。世間に満ち溢れるブラフなどに踊らされずに、目で見て体験した事から「自分で考える」ことが大切だと、あらためて気づかせてくれた韓国「独立記念館」だった。私たちが韓国に見るべきは、「韓流ドラマ」だけではないぜ♪
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キョレの家を過ぎると、第1〜第7展示館および円形劇場が要塞のように並んでいる。展示館を順番に巡ると、古朝鮮から現代までを時系列に体験できる仕組みになっていて、7万点を超える展示品の数々は大変見応えのある素晴らしい展示だ。
さて、「日本の侵略」と題された展示館。古くは豊臣秀吉の朝鮮出兵から、日本の敗戦・独立までの歴史を、数々の資料、写真、パネル、ジオラマなどを駆使して、実に克明に伝えている。パネルの解説は韓・中・日の三ヶ国語で併記されていたので大変助かった。噂に聞いていた「拷問の再現シーン」など、リアル過ぎて目を覆いたくなるような展示も確かにある。しかし、それは、反日感情をいたずらに煽るためのものではなく、日本がかつて実際に残虐行為を犯したという事実を「視覚に訴え、わかりやすく」伝えているものだと理解することができる。少なくとも、私はそう感じたなぁ。
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 昨年(2005年)一年間、韓国と深くかかわる仕事に参画した。
「韓国の人と仕事をするからには、韓国の歴史(もう少し正確に言えば”歴史認識”)をもっと知らねばならない」との思いもあって、独立記念館を訪れた。ソウルからKTX(韓国の新幹線)に乗り「天安牙山」下車。そこからタクシーでさらに30分余。忠清南道天安市の郊外に「独立記念館」がある。敷地の総面積は約120万坪というから、実に東京ドーム85個分!その広大なスケールにまず圧倒される。
来館者のほとんどは、子供連れの家族が多い。入り口に起立する「キョレ(民族)の塔」から、まっすぐに続く広場を進み、展示館をめざす。東洋最大の瓦の建物「キョレの家」は、記念館の象徴にふさわしく厳かである。日本人は、どうやら私だけのようだった。
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名護屋城趾は、国の特別史跡でもあり、広大な敷地が実に整然と整備されている。
不釣り合いなほど立派な「博物館」も建設されているが、交通の便が悪いせいか(夏休みシーズンだったのに)園内は閑散としていた。石垣に囲まれた城内は静寂につつまれ、木立の緑は美しく、天主台跡から遠くは壱岐、対馬まで玄界灘の素晴らしい風景を見渡すことができる。
抹茶を一服。「夢のあと、かな」と、ひとり佇んだ2005年夏だった。
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昨年(2005年)盛夏のころ、九州佐賀に名護屋城趾を訪ねた。
名護屋城とは、1590年豊臣秀吉が、朝鮮出兵の前進基地として、わずか半年で造り上げた(と言われている)当時の大阪城に次ぐ壮大な規模の城である。 佐賀といっても、唐津線の終点「西唐津」から、さらに路線バスで1時間余もかかり、交通の便は悪い。
しかし、ここは、おそらく秀吉時代の城で「当時の石垣のまま」現存している唯一の城跡ではないか? (現・大阪城は、徳川時代に規模縮小のうえ再築したもの)。 朝鮮に自らも出兵した加藤清正は、後年その経験と(おそらく)朝鮮から導入した技術に磨きをかけ「築城の名人」と言われるようになる。そして、「日本三大名城」のひとつ「熊本城」が誕生する。
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週明けの火曜日は、ホワイトデーだ。
バレンタインにチョコをくれた愛すべき友人や同僚たち。たとえ義理とわかっていても、中年を気遣ってくれた心遣いは嬉しいもの。ささやかなお返しだけど、ちゃんとしなくちゃね♪  というわけで、フランス料理&洋菓子の老舗「かをり」に立ち寄った。いつもは、レーズンサンドを目当てに来るのだが、さて、きょうは何を選ぼうか・・・。
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山手地区に残る古い西洋館は、財団法人「横浜市緑の会」の手で保存され、一般公開されている建物もある。エリスマン邸は、アントニー・レーモンドという建築家が、スイスの貿易商エリスマンの私邸として、1926(大正15)年に建築した。
靴を脱いで中にあがると、喫茶室がある。大きな窓から望む緑に心安らぐ。美しいピアノの音色が聞こえてきた。古いピアノを維持するために、フェリス女学院の女学生が、ボランティアで(月1回)ピアノを弾きに来るのだそうだ。ささやかな幸運を感じた昼下がりだった。
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姉妹(呉にて)

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「おおすみ」型の姉妹艦が並んで停泊する姿は、遠目には空母のようにも見える。(実際は「輸送艦」です) ※呉港から小用港へのフェリー船上より。
おおすみ、しもきた、くにさき・・・のうち、いずれの二姉妹であるかは判別できませんでした♪
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尾道〜呉の旅。締めくくりに、フェーリーで江田島に渡り、旧海軍兵学校を訪ねた。
現在では「海上自衛隊/第一術科学校および幹部候補生学校」となっている。その歴史は、1888(明治21)年に海軍兵学校が、東京築地から江田島に移転した約120年前にはじまる。合衆国のアナポリス、英国のダートマスとともに「世界三大兵学校」として、かつてその名は広く世界に知られていました。
平和な時代に生まれた幸運にあらためて感謝しながら、凛とした気分で今回の旅を終えました。
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海軍カレー

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カレーライスの元祖は「海軍カレー」だという事をご存知だろうか?
明治維新後、英国海軍を模範とした日本海軍には、西洋の食文化もいち早く導入されました。もともと英海軍はシチューが基本らしいが、シチューやパンに馴染めなかった日本人にあわせて、シチューにカレー粉と小麦粉を混ぜてトロみをつけ、ご飯にかけて「カレーライス」にしたところ大好評! 1908年発行「海軍割烹術参考書」にレシピを掲載し、(はからずも)海軍がカレーライスの普及に一役買ったというわけだ。「金曜日の昼食はカレー」という伝統は、海上自衛隊となった今でも、脈々と受け継がれている。※長い航海が続くと、曜日の感覚がなくなってくるため、カレーで曜日感覚を取り戻すという意味があるんだそうです♪
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ミュージアムに着くと、一門の巨大な砲身が正面玄関前にあった。「大和の主砲身か!」と思いきや、戦艦陸奥の40cm砲でした。(それでも十分デカイ!) 館内に入ると、どーんと1/10大和の模型が鎮座まします。この模型、最新の考証に基づいて細部まで実に精巧に出来ており、プラモデル好きの方も必見です。前後左右からだけでなく、下からも上からも心ゆくまで眺められる。他に零戦や酸素魚雷、特殊潜航艇、砲弾の実物展示や、宇宙戦艦ヤマトのコーナーまでありましたな。とにかく混雑しておりました。オープンして約一年、まだまだ人気は衰えない様子です。
大戦前、呉軍港は東洋最大の規模を誇る一大海軍基地でした。戦艦大和は、この呉で建造され、1945(昭和20)年4月、3000余名の男たちをのせて沖縄をめざします。それは、二度と帰らぬ最後の出撃となりました。
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尾道駅を出ると、目の前は瀬戸内海。駅前渡船(フェリー)で向島に渡る。
本物の造船ドックだった「日立造船西工場跡地」にロケセットが組まれているせいか、まるで「建造途中の大和」に近づいていくような雰囲気だ。ただし、大和そのものは、ごく一部(それも部分的)しか復元されていない。(撮影後にCG処理で艦橋や煙突を追加したわけだね) う〜む・・・。それでも実物大のド迫力には説得力があった。見物客も多かった! 呉の大和ミュージアム→尾道のロケセット→しまなみ海道を通って道後で一泊・・・という団体が多いそうだ。
4月に解体予定が、あまりの人気ぶりに5月7日まで公開再延期も決定されたそうです。

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「男たちの大和」映画ロケセットを目当てに、尾道を訪れた。まずは「尾道ラーメンで腹ごしらえでしょ!」というわけで、タクシーで十四日元町まで急ぐ。土曜日の11時、案の定もう行列ができていた。
中国銀行の隣にある「朱華園」は、1947(昭和22)年創業。檀一雄のエッセイにも紹介され、昼食時にはジモティー&観光客で長い行列ができる。30分並んでやっとありついた「チャーシューメン」。自家製の麺はやや平たく縮れて、スープはあっさりした醤油味。(背脂がこってり浮いているんだが、ホントにあっさり!) 食通の友人に言わせると、「焼きそば」も美味いんだそうな。
ちなみに、食後に海岸通りを駅前まで歩いたところ、「つたふじ」と「壱番館」というラーメン屋さんにも行列ができていた。

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