横浜には、外人墓地が4カ所あると知った。 観光地として誰もが知っている山手外人墓地のほかに、在日華僑の地蔵王廟、英連邦戦死者墓地(保土ヶ谷区)、そして根岸外国人墓地。今まで、外人墓地といえば「山手外人墓地=横浜の外人墓地」と思い込んでいたけれど、同じ中区に3つも外人墓地があったのか。身近な場所にも、まだまだ知らないことが沢山あるものだ。特に、この根岸外国人墓地の存在は、横浜で生まれ育った僕でさえ、この本を読んではじめて知ることになった。 真夏の昼下がり、64年目の終戦記念日のきょう、そんな身近な歴史を訪ねてみました。
ある映画監督が、語ったという。 「映画の半分は、音楽である」と。 1987年、単館上映された押井守の初実写監督映画「紅い眼鏡」。あまりに低予算の映画だったため、押井監督は、音楽を無名のスタジオ・ミュージシャンに発注する。これが、押井監督と川井憲次の出会いだったという。以来、「機動警察パトレイバー」や「攻殻機動隊」「アヴァロン」など、押井映画に彼の音楽は欠かせないものとなった。 やがて、中田秀夫監督映画「リング」の映画音楽がハリウッドで評価され、現在では外国からの作曲依頼も増えている・・・。 残念なことに、川井憲次を知っている人が、私の周囲にはあまりいない。 映画やドラマを観た時、タイトルと監督や俳優の名前は記憶に残っても、脚本家や作曲者を気にかける人は少ない。 だが、私は「縁の下で職人芸を発揮する人こそプロだ」と、ついファンになってしまうのだ。 東宝特撮映画に伊福部昭がいるように、宮崎作品には久石譲がいて。「東京ラブストーリー」を盛り上げたのはカンチでもリカでもなく日向敏文の音楽だったのではないか・・・と。どうしても、そういう目で(耳で?)「音楽」を鑑賞してしまう。 だから、私にとっては「音楽の半分は、映像と物語」によって補完されている、と言えるかも知れない。 今夜、友人を誘って「パシフィコ横浜・国立大ホール」で催された川井憲次のコンサートに行ってきた。 題して、Cinema Symphony。 フルオーケストラ、混声合唱団、和装の民謡集団、和太鼓・・・ゲスト・ヴォーカルに、坂本美雨、ポーランド人のソプラノ歌手。映像と美しい旋律に酔いしれた休日の夜でした。
61年前、太平洋戦争末期の昭和20(1945)年、東京とサイパンの中間点にあたる「硫黄島」で、歴史に残る大激戦があった。日本軍守備隊1万に対し、米軍28万の作戦は、当初「5日でカタがつく」楽勝と考えられていた。ところが、日本軍は実に1ヶ月以上も頑強に抵抗を続けた。米軍は「全島に1mの鉄を敷き詰るほどの量の砲弾・爆弾」を消費したが、日本軍を上回る死傷者のほか発狂者が続出。米軍がこれほど苦しめられた戦線はなかったとして、戦史に特筆されている。その硫黄島の戦いが、クリント・イーストウッド監督のメガホンにより、「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」という二部作となって映画公開されるという。前者はアメリカの視点から、そして後者は日本の視点から、同じテーマを日米全く異なる視点で描く、前代未聞の試みだろう。映画に先立ち、原作の「硫黄島の手紙」を読んだ。日本軍守備隊の総指揮官だった栗林中将が、内地の妻や子供に送り続けた「手紙」がその内容だ。夫として父として、人間・栗林忠道の優しい人格が手紙の随所に満ちあふれていてジワリと熱くなる・・・。日本では、硫黄島というと、とかく「バンザイ突撃」だの「玉砕」だの、日本軍の悲惨ぶりしか取り上げないが、戦闘が始まる前に島民を強制疎開させたり、限られた物資で実に周到な準備と作戦を整えていた。戦闘開始後は、飢えや病気で自暴自棄になる現場を戒め、少しでも長く効果的な抵抗を続けるよう最後まで冷静さを失わなかった栗林中将のことを、今回あらためて知ることになった。(続く「沖縄戦」と対照的である) ちなみに、映画では、渡辺謙が栗林中将を演じる。本を読んだら、早く本編を観たくなった。 *ワーナーブラザーズ「父親たちの星条旗」(10/28封切)/「硫黄島からの手紙」(12/9封切)
